ノルディックポール - じん8
2025/12/04 (Thu) 13:49:55
意外に使い方に面倒なところがある代物のようです。私は脊柱管狭窄がうたがわれたころから使用しています。ようやく慣れたころには、体の方が参って、ネットにある解説のようなわけにはいかず、まさに歩むがごとく休むがごとく、ふらついております。
要は急ぐことなく、べた足で「ほら一、二、ほら一、二」と周囲の目を気にするでもなく、一日半歩から、悠然と気のむくままに動くことではないでしょうか。嫌な日はやらないことです。無理にどれほどかあるこうなどとは、夢にも思わないことです。
駄目というのは、ご自分の意識の中に満足する距離か歩数などがある点も作用しているのではと思います。唄の文句ではありませんが「一日一歩、三日で散歩、三歩進んで二歩下がる」ができれば満点です。最初から王道はありません。
思い出しますが、私ももっとも痛みがあったころは、柱から柱伝いに体を移動させていたことがあります。足は柱につかまるまでの一瞬、体を支えているだけでした。今も通常から見ればお笑いスタイルでありましょうが意に介しません。
まずは立ちあがってみる、次は半歩足を前に出してみると、こういうことの繰り返しでもいいではないですか。いかに動こうが、歩こうが所詮は自分の問題です。堂々と、飄々とやっていこうではありませんか。
昨夜から雪になり、今もしきりに降っております。昨日、やたらに腰が痛く歩行不全でしたので、今日は家の中を柱伝いに動いています。除雪は無理だと思いながら、まだやるつもりという未練もあります。
くれぐれもご無理になきように、いざってでも10センチ前に動けたらラッキーというほどのおおらかな神経を保持しつつ、ますますお元気であられるよう、いっそうのご自愛と共にお祈り申し上げております。
要は急ぐことなく、べた足で「ほら一、二、ほら一、二」と周囲の目を気にするでもなく、一日半歩から、悠然と気のむくままに動くことではないでしょうか。嫌な日はやらないことです。無理にどれほどかあるこうなどとは、夢にも思わないことです。
駄目というのは、ご自分の意識の中に満足する距離か歩数などがある点も作用しているのではと思います。唄の文句ではありませんが「一日一歩、三日で散歩、三歩進んで二歩下がる」ができれば満点です。最初から王道はありません。
思い出しますが、私ももっとも痛みがあったころは、柱から柱伝いに体を移動させていたことがあります。足は柱につかまるまでの一瞬、体を支えているだけでした。今も通常から見ればお笑いスタイルでありましょうが意に介しません。
まずは立ちあがってみる、次は半歩足を前に出してみると、こういうことの繰り返しでもいいではないですか。いかに動こうが、歩こうが所詮は自分の問題です。堂々と、飄々とやっていこうではありませんか。
昨夜から雪になり、今もしきりに降っております。昨日、やたらに腰が痛く歩行不全でしたので、今日は家の中を柱伝いに動いています。除雪は無理だと思いながら、まだやるつもりという未練もあります。
くれぐれもご無理になきように、いざってでも10センチ前に動けたらラッキーというほどのおおらかな神経を保持しつつ、ますますお元気であられるよう、いっそうのご自愛と共にお祈り申し上げております。