名護屋城跡の天守台から玄界灘方面を望んだスナップをもう一枚。画像真ん中の奥に、壱岐の島が見えます。
よい機会ですから、当時 なぜ秀吉は朝鮮を侵略したのか。その理由を知りたくなりました。調べたサイトの解説には、
「秀吉が東アジア征服構想を持った背景として、15~16世紀における東アジア世界の変動があげられる。それは朝貢貿易と海禁による明の冊封体制が緩み、倭寇の貿易が盛んとなったこと、さらに、ポルトガルをはじめとする南蛮諸国の貿易船が東アジアに進出し、明がおさえていた東アジアの通交関係を崩したことである。これにより、東アジアにおける明帝国の地位は低下した。明征服をめざした秀吉の朝鮮侵略はこのような時期に行われた。」
さらに、これまでに日本が朝鮮半島を侵略した経緯は、
①1592年から1598年にかけて、豊臣秀吉が明征服を目的として朝鮮に侵略した戦争が「文禄・慶長の役」。
②1894年に東学農民革命(甲午農民戦争)が起こり、日本は韓国政府から頼まれていないのに派兵して農民軍を弾圧。
③1906年から1911年には「反日義兵闘争」が韓国全土に広がり、日本軍は村々を焼き払い、義兵を大量に殺害した。
④1910年8月22日に日本は大韓帝国(韓国)と「韓国併合に関する条約」に調印し、朝鮮半島を植民地支配しました。
日本が朝鮮半島に進出した理由は、
○大陸進出の足掛かりとして朝鮮への影響力を強めたい。
○国の安全を守るために、隣国である朝鮮の安全確保が必要だと考えた。
○朝鮮半島の進んだ文化や鉄などの資源を欲しかった。
○日本資本主義の成長を支えるための食糧資源や労働力の供給地として位置づけた。
引用させていた解説の確かさはともかく、時代背景が違うとはいえ、深く考えさせられます。